大判例

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東京高等裁判所 昭和32年(ネ)61号 判決

控訴人 原告 細野英雄 外一名

訴訟代理人 安達幸衛 外一名

被控訴人 被告 国 代表者 法務大臣 唐沢俊樹

指定代理人 堀内恒雄 外二名

主文

原判決中被控訴人に関する部分を取り消す。

被控訴人は控訴人らに対し各金二十万円並びにこれに対する昭和二十四年九月十一日から支払ずみまで年五分の割合の金員を支払え。

控訴人らのその余の請求を棄却する。

訴訟の総費用は、これを五分し、その四を被控訴人の負担とし、その一を控訴人らの負担とする。

事実

控訴代理人は、「原判決を取り消す。被控訴人は控訴人らに対し各金四十万円及びこれに対する昭和二十四年九月十一日から支払ずみまで年五分の割合の金員を支払え。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求め、被控訴代理人は、控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上の陳述は、控訴代理人において、「(一)控訴人らは、三信ビルの占有者である被控訴人に対し、右工作物の設置又は保存に瑕疵あるにより被つた損害につき、第一次には国家賠償法第二条の規定による賠償を求め、これが許されない場合は、第二次の請求として、民法第七百十七条の規定による賠償を求める。民法第七百九条、第七百十五条の規定による損害の賠償はこれを求めない。(二)昭和二十二年五月三日施行せられた憲法第十七条には、公務員の不法行為により、損害を受けた者は、法律の定めるところにより、国又は公共団体に、その賠償を求めうる旨規定せられており、これに基き国家賠償法が制定せられ、同年十月二十七日その施行を見たところ、本件事故は、憲法施行後に発生したのであるから、これについても遡つて国家賠償法の規定が適用せらるべきである。これに反する同法附則第六項の規定は、憲法の条規に反するものであつてその効力を有しない。しかるに同法第二条には、公の営造物の設置又は管理に瑕疵があつたために他人に損害を生じたときは、国又は公共団体は、これを賠償する責に任ずる旨規定せられているところ、前記三信ビルは、進駐軍の接収通知に基き、被控訴人が所有者から借り受けて進駐軍の使用に供したのであるから、公の営造物に当り、右三信ビルの一階第一三一号室東側窓のよろい戸が降下しなくなつたこと、並びにシヤツターボツクス内にあるリミツトスイツチの安全カバーが外れていたことは、右営造物の設置又は管理にかしがあつた場合に当るから、被控訴人は、同法条により、これがために生じた損害を賠償すべき責任を負うものである。(三)民法第七百十七条但書の法意は、占有者において積極的な注意をなした場合にのみ免責せられるものであつて、消極的に注意すべき立場にないのみでは免責せられないのである。しかるに被控訴人は何ら積極的に損害の発生を防止する注意をなさなかつたのであるから、当然損害を賠償する責に任ずべきである。(四)細野一雄は、昭和二十二年九月一日午後五時五十分感電し、同六時二十分に死亡した、従来の判例は、慰藉料請求権は被害者が之を行使しようとする意思を表明した時にだけ相続性を有するとし、「残念、残念」と叫んで死亡した場合は原則としてその意思の表白と見られる、としている。右判例は、意思の表白ある場合のみ相続性を有するとなしながら、右理論の欠かんを補うために残念と叫ぶことを意思の表白とぎせいしたものである。しかしながら、人は、かかる場合、原則としてその死亡の瞬前まで内心的損害賠償請求の意思を有するものであり、必ずしも文書、口頭により損害賠償請求権の行使を表明する必要はないというべきである。すなわち、死亡前に明らかに請求権を放棄しない限り原則として損害賠償請求権行使の意思ありとなし、以て相続性を認むるも何ら不合理はない。よつて細野一雄が何ら慰藉料請求権行使の意思を表示せずとも右請求権は当然相続性を有し、同人の死亡により控訴人らがこれを相続したものである。」と述べ、被控訴代理人において、「(一)、本件事故は国家賠償法施行前に発生したものであるから、同法の適用はない。仮に国家賠償法施行前の行為に基く損害についても同法の適用があるとしても、本件建物は公の営造物でないから、同法の適用はない。(二)、細野一雄が控訴人ら主張のよろい戸を降下せしめる作業に従事中、電流が同人の身体に通じた経路については知らない。(三)、本件リミツト、スイツチの安全カバーがたまたま取り外されたままで放置されてあつたことは、工作物の保存にかしがあつた場合に当るとみるべきでない。リミツトスイツチが備えられている場所は、室内の窓の上部のシヤツターボツクスの中である。従つて通常このボツクス内には人が入るものでなく、安全カバーが外れていても、外れていること自体から何らの危険をも生ずるものではない。カバーはじんあいの埋積することを防ぎ、時にねずみが触れることが考えられるので設けられているものである。スイツチに人の身体が触れることが考えられるのは、人がボツクス内に入るか、またはボツクス内のスイツチに手を差し延べる場合であるが、その場合には、窓の上部によじ登る前に、ベビースイツチを切りさえすれば、リミツトスイツチに至る電流の回路がとざされるから安全なのである。右の次第であるから、リミツトスイツチのカバーが外れていることは、通常の用法において、それ自体何らの危険を生ずるものではないのであるから、建物の保存のかしに当るなどというべきものではない。(四)、被控訴人は、本件建物の間接占有者であつても、建物のかしに基く損害を賠償する義務はない。民法第七百十七条による占有者の賠償責任は、占有者が損害の発生を防止するに必要な注意をなした場合には、その責任はない。(同条第一項但書参照。)しかるに、本件建物については、直接占有者たる進駐軍においてその管理、補修を行い、被控訴人は進駐軍の要求なくしては一切これに関与しない立場にあつた。被控訴人は、たとい間接占有者と認められても、損害防止の注意をすべき立場にあつたものということはできないから、損害賠償の責任はない。「日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約第三条に基く行政協定に伴う民事特別法」(昭和二十七年四月二十八日法律第一二一号)第二条は、同法施行前に起つた本件に適用はなく、同法施行前においては、被控訴人に損害賠償の責任がない。(五)、仮に被控訴人に損害賠償義務があるとしても、本件においては被害者の過失が斟酌せらるべきものである。」と述べた外、原判決事実摘示記載のとおりであるから、ここにこれを引用する。

証拠として、控訴代理人は、甲第一ないし第四号証(ただし甲第三号証は写)を提出し、原審並びに当審(差戻前)証人谷森進之助、原審証人八十島信之助、森田桂歩、上橋良一、佐藤幸夫、石田菊太郎、庄司忠、明石陽至、佐々木政義、佐藤辰治(第一、二回)当審(差戻前)証人細野英二、柳伸太郎、山口誠一郎、小野千代子の各証言、原審並びに当審(差戻前)における検証の結果、当審(差戻前)における検証の結果、当審(差戻前)における控訴人細野英雄本人尋問の結果を援用し、乙第一号証の成立は不知、と述べ、被控訴代理人は、乙第一号証を提出し、原審証人斎藤武久、佐藤辰治(第一、二回)、中村竹次郎、佐々木政義、当審(差戻前)証人木田栄二、鈴木喜良、荒谷儀八の各証言、原審における検証の結果を援用し、甲各号証の成立(ただし甲第三号証は原本の存在並びにその成立)を認める、と述べた。

理由

控訴人らの長男細野一雄が、昭和二十一年八月中進駐軍要員(電気工)として庸われ、進駐軍の接収にかかる東京都千代田区有楽町所在三信ビルに勤務していたこと、並びに同人が、昭和二十二年九月一日午後五時五十分頃、同ビル一階第一三一号室(管理事務室)東側窓のよろい戸が捲き上げられたまま降下しなくなつたので、右管理事務室の者から依頼せられ、右よろい戸を降下させるため、長さ約一メートルの鉄製パイプを使用してよろい戸をこじたところ、よろい戸の電気回路を流れる電流が右鉄製パイプを通じて同人の身体に感電し、これがために傷害を受け、同日午後六時二十分頃死亡したことは、当事者間に争がない。

控訴人らは、第一次の請求として、右事実は国家賠償法第二条に該当するとし、同法附則第六項「この法律施行前の行為に基づく損害については、なお従前の例による。」は日本国憲法第十七条に違反し無効であつて、同法施行前ではあるが、日本国憲法施行後に発生した本件には国家賠償法の適用がある、と主張しているので考えるのに、日本国憲法第十七条は、従来わが国において公務員の不法行為が公権力の発動としてなされた場合は民法の適用はないものとして、「この所民法入るべからず」とされていたのを否定し、国及び公共団体の責任が公権力の行使についても生ずることを明定したものであるから、この規定の趣旨から言つて、日本国憲法施行後は公務員の不法行為についても民法の規定を適用することができることになつたものと解するのが相当である。しかして国家賠償法は、民法の特別法として制定せられたのであるから、同法施行後は同法が民法に優先して適用され、民法はこれについで適用されることとなつたのである。(国家賠償法第四条参照。)このように解すると、国家賠償法附則第六項において同法をその施行前の行為にまで遡及適用しなかつたことを以て何ら日本国憲法第十七条に反するということにはならないのである。もちろん国家賠償法の適用によつて救済される損害が民法の適用によつては救済されないという場合のあることも考えられるけれども、それは日本国憲法第十七条の「法律の定めるところにより」にいう法律の変更に伴う避け難い現象であつて、将来国家賠償法の改正がある場合には本件と同様の問題が起るかも知れないのである。このような場合さらに広くせられた救済の範囲を遡及しないことが日本国憲法第十七条に反するという解釈が成り立ち得ないことは明らかである。国家賠償法附則第六項は何ら憲法の条規に反するものでなく、これをもつて違憲立法なりとなす控訴人らの所論は採用し難い。そうすれば、日本国憲法施行後であつても、国家賠償法施行の日である昭和二十二年十月二十七日以前に発生した本件損害については、同法を適用することはできないものであるから、国家賠償法第二条に基く控訴人らの第一次の請求は、これ以上の判断をなすまでもなく失当として棄却すべきものである。

よつて控訴人らの第二次の請求について考えるに、被控訴人が進駐軍の昭和二十年九月十四日附接収通知により本件三信ビルをその所有者から借り受け、これを進駐軍の使用に供したことは、当事者間に争なく、成立に争ない甲第四号証によれば、被控訴人が本件三信ビルの賃借人として所有者に対し賃料を支払つていたことが明らかであるから、事実上本件三信ビルを占有していたのは連合国占領軍であるけれども、被控訴人は右建物の間接占有を有していたものというべく、従つて被控訴人は右建物の設置保存に関するかしに基因する損害については、民法第七百十七条にいう占有者としてその責に任じなければならない。

そこで、右建物の設置保存にかしがあつたかどうかを考えるに、「本件事故の原因となつたよろい戸の開閉は電動機の作用によりこれを操作する装置となつていたこと、すなわち、よろい戸を捲き上げるには、下部に装置された押ぼたんを押すとき、電源からベビースイツチを経、上部シヤツターボツクス内のリミツトスイツチより電動機に至る電気回路を生じ、これにより電動機が回転してよろい戸が除々に捲き上げられ、捲上の終る直前よろい戸の下部に取り付けられた長さ約二寸の鉄板がリミツトスイツチの下方に突き出ている長さ約四寸のしんちゆう製丸棒を押し上げ、スプリングの作用により自動的に電気回路が遮断されて電動機の回転が停止すること、またよろい戸を降下させるには、電動機を用いないでギヤボツクスに取りつけられた把手によりギヤ止を外し、よろい戸をしてそれ自身の重さにより除々に降下せしめる仕掛になつていること、」の当事者間に争のない事実、及び原審証人佐藤辰治(第一、二回)、石田菊太郎、佐々木政義の各証言、原審並びに当審(差戻前)における検証の結果を合せ考えれば、シヤツターボツクス内のリミツトスイツチはこれに電流が通じている間に物が触れるときは漏電又は感電するの危険があるので、これを防ぐため右リミツトスイツチには安全カバーが取り付けられていたこと、本件事故発生当時には右リミツトスイツチの安全カバーが取り外されていたため前段認定のように細野一雄がよろい戸を降下させる目的でよろい戸を鉄製パイプでこじたところ、それがリミツトスイツチに触れかつよろい戸昇降装置の故障によりよろい戸の下部に取りつけられた鉄板がリミツトスイツチの下方に突き出ているしんちゆう製丸棒を完全に押し上げていなかつたため、電気回路は遮断されておらず、リミツトスイツチに電流が通じていたため細野一雄は、右鉄製パイプを通じて感電し、傷害を受け、因つて死亡するに至つたことを認めることができる。右認定事実によれば、リミツトスイツチに安全カバーが取りつけられていたとすれば、同人は感電死亡を免れることができたのであるから同人の死亡はリミツトスイツチに安全カバーが取りつけられていなかつたことが直接の因をなしているものであることが明らかである。

しかして、原審証人谷森進之助、当審(差戻前)証人鈴木喜良の各証言によれば、よろい戸のシヤツターがたるむときは、リミツトスイツチに接触する危険があることが認められるし、また原審証人石田菊太郎、谷森進之助の証言によれば、従来よろい戸開閉装置の故障のとき長柄の釣又は鉄棒などでよろい戸を動かして修理していたこと(かかる修理方法が妥当であるかどうかは別として、)が認められるから、このような状況の下においては、リミツトスイツチに常時安全カバーを取りつけ、リミツトスイツチよりする感電または漏電を防止する要あるものというべく、右安全カバーの取付は、被控訴人の主張するように、単にじんあいの堆積することを防ぎ、時にはねずみがふれるのを妨げるためにのみ設けられたものでなく、また右安全カバーは本件建物の一部である窓のよろい戸の開閉装置と一体をなしているものとみられるのでかかる安全カバーをリミツトスイツチから取り外したまま放置することは、結局民法第七百十七条にいう工作物の保存のかしにあたるものというべく、右に反する被控訴人の見解は採用しない。

果して然らば、被控訴人は、本件建物の占有者として右かしにより損害を生じた被害者に対しその賠償をなすべき責任あるところ、被控訴人はかかる占有者の賠償責任は、占有者が損害の発生を防止するに必要な注意をした場合にはその責任はないのであるが、本件においては、直接占有者たる進駐軍においてその管理補修を行い、被控訴人は進駐軍の要求なくしては一切これに関与しない立場にあつたから、損害賠償の責任はない、と主張するので考えるに、民法第七百十七条はいわゆる危険責任の原理を宣明した規定であつて、工作物のような危険性の多い物を管理し所有する者は、危険の防止に十分の注意を払うべきであり、万一危険が現実化して損害が生じた場合には、過失の有無を問わずその者に賠償責任を負わせるのが社会的にみて妥当であるとの考え方に立つており、無過失責任を本則としているのである。ただ無過失責任を徹底せしめるときは時として苛酷に流れるおそれがあるので但書を以て占有者に限り損害の発生を防止するに必要な注意をした場合には責任を免れる旨規定したのであつて、これは帰責要件ではなく、占有者に限り認められた免責要件であることを注意すべきである。そして、工作物責任の責任者は、第一次的には、工作物に最も近い関係のある占有者であつて、代理占有の場合には、占有代理人がまず責任を負い、ついで本人が責任を負うべく、第二次的には、その所有者が責任を負うのである。本件の場合、あるいは連合国占領軍を目して被控訴人の占有代理人であるということはできないかも知れないが、少くとも占領軍は本件工作物たる三信ビルの直接占有者であり、これに対し被控訴人は間接占有者であるということができるのであつて、その間代理占有に類した関係があるものというべきである、そして当時本件のような場合に直接占有者である連合国占領軍が損害賠償の責を負うべき規定も協定もなく、現実においてもその責に任ぜなかつたことは、当裁判所に顕著なところであるので、控訴人らが連合国占領軍に対して直接にその責を問うことはなし得ないところであるというべく、間接占有者たる被控訴人に対しその責を問うよりほかにいたし方ないのである。

そしてこの場合、被控訴人は、その注意義務を果したことによつてその責を免れうるのであるが、民法第七百十七条所定の責任が無過失責任を本則としていることを考えれば、被控訴人は、あるいは直接占有者である連合国占領軍が右注意義務を果したことを主張立証することによりその責任を免れることができるであろうが、被控訴人主張のように単に自ら直接に工作物の管理補修を行い得なかつたという理由だけではその責任を免れることができないものといわなければならぬ。あるいはこのような場合はいわゆる注意義務の履行不能であつて、被控訴人はその責を免かるべきであると説く者があるかも知れないが、右は、民法第七百十七条所定の責任が無過失責任であつて、いわゆる注意義務を果したことは免責要件に過ぎないことを看過した議論であつて、注意義務を果すことのできないときは、その者の責に帰すると否とを問わず本来の無過失責任の原則に立ち帰つてその責に任ずべく、注意義務を果すべき立場にないためこれをなさなかつた占有者は、その責を忍受するよりほかいたし方ないのである。しかし本件においては、直接占有者たる連合国占領軍が損害の発生を防止するに足る必要な注意をしたことは、被控訴人の明確に主張立証しないところであり、また被控訴人の援用にかかるすべての証拠によるも右事実を認めることができないので、被控訴人は、本件事故による損害の賠償を免れるに由ないものというべきである。

よつて、進んで控訴人らが細野一雄の死亡により受けた精神上の損害に対する慰藉料の請求について考えるに、控訴人らが細野一雄の父母として同人の不慮の死亡により精神上多大の打撃を受けたことは前段認定の事実によつて明らかなところであり、さらに、(一)当事者間に争がないところの、細野一雄が、昭和三年十月二十五日出生し、昭和二十一年三月東京芝浦高等工業学校を卒業し、本件事故当時は進駐軍傭人として勤務し、月収二千百円以上であつたこと、(二)当審(差戻前)における控訴人細野英雄本人尋問の結果によつて認められる、控訴人らは、財産とてなく、控訴人英雄が米国極東空軍にボイラーマンとして雇はれ、三人の子を養育していること、(三)原審証人佐藤辰治(第一回)の証言によれば、細野一雄は、かねてよろい戸のシヤツターの故障修理のときはベビースイツチを切つて修理するよう注意せられていたにも拘らず、ベビースイツチを切らないでよろい戸のシヤツターの故障を修理したため、本件事故を惹き起したことが認められ、この点において同人にも過失あること、を参酌すれば、控訴人らが受けた精神上の損害に対する慰藉料は、それぞれ金二十万円が相当であると考える。控訴人らは、各金三十万円が相当である、と主張するけれども、控訴人らの証拠によつては未だ右額を以つて相当であると認めることができない。

次に控訴人らは、細野一雄自らが本件事故によつて受けた精神上の損害に対する慰藉料請求権を相続により取得したとしてこれを請求しているので考えるに、不法行為に因り身体を傷害せられこれがために苦痛を被つた場合における慰藉料請求権は被害者の死亡と共に消滅し、相続人でも之を承継し得ないのが原則であつて、ただ被害者が加害者に慰藉料を請求する意思を表示したときに相続性を有するに至るものであること、及び右意思表示は単にその請求をなす意思を表白すれば足り、必ずしも加害者に到達するを要しないとするのが、久しきにわたる大審院判例(大正八年(オ)第八〇号同年六月五日言渡大審院判決参照)であつて、本件においても右判例に従うのが相当であると考える。もつともこの点については議論の存するところであつていやしくも精神的利益の侵害があれば慰藉料請求権が発生し、請求の意思を表示しなくても、特別の事情(たとえば放棄、免除)のない限り、原則として相続されるとする見解もあるけれども民法第七百十一条が死者の近親に固有の慰藉料請求権を認めていることから考えて、民法は、死者の近親はもつぱらこの請求権を行使すれば足るとなしているのであつて、これ以上被相続人である被害者本人が慰藉料請求の意思を表白していないのに拘らず当然慰藉料請求権の相続性を認めることはいささか行き過ぎであるというべく、矢張従前の判例のいうとおり、慰藉料請求権について、その請求をするかしないかは一身専属権であるから、請求の意思を表示するまでは相続性をもたないが、請求の意思表示があれば、一般の金銭債権となり、相続性をもつという見解を以つて正当となすべきである。なる程かく解するときは、民法第七百十一条列記の者以外の者が相続人である場合、その者は結局慰藉料請求権を行使することができないことになるのであるが、その者は本来固有の慰藉料請求権をもつていないのであるから、原則として慰藉料請求権の相続性を認めないからといつて、時に不公平、不妥当であるということができず、むしろ慰藉料請求権の相続性を認めて同条列記の者に対し結果において二重の権利行使を容認することこそ不公正、不相当であるというべきである。仮に百歩を譲り、控訴人ら主張のように、慰藉料請求権の当然相続性を認めるとしても、相続人が民法第七百十一条列記の者である場合、同条による固有の慰藉料請求権と相続による慰藉料請求権とを併せ行使することは許すべきでないと解するを相当とする。なる程、右両者は被害法益を異にしているものであろうが、結局被相続人である被害者の身体又は生命の侵害という同一事実に基くものであり、その本質において同一ということができるので、これを併せ行使することはかえつて不当というべきである。しかして本件において、控訴人らは、その固有の慰藉料請求権を行使しているのであるから、被相続人である細野一雄がその生前に本件傷害による慰藉料請求権を行使した事実の認められない限り、控訴人らの相続により取得したという慰藉料請求権の行使を認むべきでなく、本件一切の証拠によるも、細野一雄が慰藉料請求権行使の意思を表白したことを認めることができないので、控訴人らの前示請求は到底認容することができない。

以上の次第であつて、被控訴人は、控訴人らに対し、各金二十万円並びにこれに対する本件訴状送達の翌日であること記録上明らかである昭和二十四年九月十一日から完済まで年五分に相当する遅延損害金を支払うべき義務があり、控訴人らの本訴請求はこの限度において正当として認容すべきもその余は失当として棄却すべきである。しかるに原判決が、控訴人らの請求を全部失当として棄却したのは不当であつて控訴人らの控訴は理由があるので、原判決を取り消し自判することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条、第九十六条を適用しなお、仮執行の宣言はこれを附することが相当でないと認めるので右申立を却下することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長判事 大江保直 判事 猪俣幸一 判事 古原勇雄)

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